2014-05-22 第186回国会 参議院 環境委員会 第8号
明治六年の鳥獣猟規則、狩猟の規制からスタートして、そして昭和三十八年の、まだ片仮名ですが、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律、この辺りは鳥獣保護の観点が重視をされて今日に至っているということでありますけれども、この法案質疑をするときに考えたときには、やっぱり平成十一年の改正、百四十五回の国会でありますけれども、あのときの質疑がやはりかなり意識をされるわけであります。
明治六年の鳥獣猟規則、狩猟の規制からスタートして、そして昭和三十八年の、まだ片仮名ですが、鳥獣保護及狩猟ニ関スル法律、この辺りは鳥獣保護の観点が重視をされて今日に至っているということでありますけれども、この法案質疑をするときに考えたときには、やっぱり平成十一年の改正、百四十五回の国会でありますけれども、あのときの質疑がやはりかなり意識をされるわけであります。
この法案の源泉をたどっていくと、明治六年、鳥獣猟規則の制定から、今回の法律がスタートしているというふうにお聞きします。昭和三十八年に、鳥獣保護思想の明確化のために法律の改正がなされ、今日の鳥獣保護法のベースになったとお聞きします。改正法の鳥獣保護思想とは、当時の時代背景と根拠をお尋ねしたいと思います。
○星野政府参考人 明治六年に、我が国の近代法制における最初の鳥獣法制として、鳥獣猟規則が制定されたところでございます。この背景といたしましては、明治になりまして、鳥獣の捕獲が自由に行われるようになったということもございまして、鳥獣猟の規制が必要だという背景のもとに、この鳥獣猟規則が制定されたものでございます。
改めて鳥獣行政の取り組みを振り返れば、明治六年に制定された鳥獣猟規則以降、その時々の社会の要請に応じて、私たちの暮らしの平穏や、秩序の維持、鳥獣の保護や管理、それぞれに重点を置きながら、バランスをとりつつ、制度が定められてきました。 しかしながら、結果として、鹿やイノシシを初めとする個体数が激増し、生態系が危機に瀕することとなっています。
明治六年に当時の太政官布告ということで鳥獣猟規則というのでしょうか、そういう規則ができておりますが、その後、法令の整備が進みまして、少し途中を飛ばして言いますと、明治三十四年にかなり大幅な法律改正がございまして、そのときの法律の名前は狩猟法となっています。
○島本委員 しかしそれにしても、明治六年太政官布告第二十五号、鳥獣猟規則、これが第一回目。それから明治二十五年勅令第八十四号、狩猟規則。それから狩猟法、明治二十八年法律第二十号、それから大正七年法律第三十二号、こういうふうにして変わってきて、依然として狩猟が主体でありました。